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江藤淳

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江藤淳
1965年6月
出生(1932-12-25)1932年12月25日
日本東京
逝世1999年7月21日(1999歲—07—21)(66歲)
日本神奈川縣鎌倉市
職業作家,文學評論家
體裁文學評論
日語寫法
日語原文江藤淳
假名えとうじん
平文式罗马字Etō Jun

江藤淳(1932年12月25日—1999年7月21日[註 1],日语:江藤 淳えとう じん,本名江頭 淳夫えがしら あつお ) 是一位日本文學評論家,以研究夏目漱石聞名。

江藤是著名的保守派評論家,也是戰後日本的作表,其著作『漱石とその時代』(新潮選書)獲得『菊池寬賞』及『野間文藝賞』。代表作『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)更被視為瞭解戰後文學的重要文獻。『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』・『一九四六年憲法-その拘束―その他』(文春文庫)被駐日盟軍總司令部GHQ)送到戰後日本的傳媒審查,避無可避被GHQ嚴厲評為戰後民主主義。另外,描述薩摩藩出生的山本權兵衛,由黑船來航日本海軍的出現及成立,面對國難的著名記錄文學『海は甦える』,在1975年獲得第32屆藝術院賞

筆名江藤淳是由真名而來(同音異字),可是據江藤所言卻是「因為太害羞」。筆名的「淳」字最初音「あつし」可是後來變成了「じゅん」。

生平

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父親是銀行職員江頭隆,母親是江頭廣子,是江頭家的長男,出生於東京府豐多摩郡大久保町字百人町(即現在的東京都新宿區)。叔父江头丰日语江頭豊曾任窒素株式會社社长、会长,日本现皇后雅子正是江头丰的外孙女。

1937年,4歳半的時候,母親因患上結核病而逝世。1939年,入讀戶山小學,因為身體孱弱,又跟老師不和,結果不肯上學,經常躲避在家中的衣櫃,閱讀谷崎潤一郎山中峰太郎田河水泡的書,並夢想「建立沒有學校的國家」。

1942年,轉學至神奈川縣鎌倉市鎌倉第一國民學校,變得喜歡學校,成績更大有進步。1946年,入讀神奈川縣藤澤市的舊制湘南中學(即現在的神奈川縣立湘南高等學校)。石原慎太郎是江藤高一級的學長,江藤亦開始跟石原來往。

1945年5月,因第二次世界大戰,原址東京大久保的家因空襲而被燒毀,亡母的遺品盡失,令江藤很傷心。

1948年,轉學到舊制的東京都立第一中學(即現在的東京都立日比谷高中日语東京都立日比谷高等学校)。在舊書店接觸到伊東靜雄的詩集『反響』,成為江藤踏上文學之路的契機。曾戴過貝雷帽。在學時期,遇上學制改革。

1951年,因身體檢查發現患有肺浸潤,因而中學休學,在家中休養,埋首於費奧多爾·米哈伊洛維奇·陀思妥耶夫斯基谷崎潤一郎福田恆存大岡昇平的作品中。

1953年,報考東京大學文科第二類(即相約現在的文科第三類)不成功,改讀慶應義塾大學文學系(教養課程)。因為被日比谷高中的教師侮辱「讀慶應就該選經濟系,什麼?你選文科?你也太自大了。」,因此發誓以後絕不踏入日比谷高中的大門。可是在江藤晩年,卻為日比谷高校的OB講演會「Twilight forum」講演,原因是自己的內心已經釋懷。

1954年4月,選科的時候選了英文科,是因吉田健一所著的『英國的文學』影響。1954年6月、因吐血而在家中休養。

1955年,受當時『三田文学』的總編輯山川方夫拜託,第一次以筆名江藤淳發表「夏目漱石論」。

1957年3月,從慶應義塾大學文学系英文組畢業。畢業論文題目是劳伦斯·斯特恩。1957年4月,修讀慶應義塾大學研究院英文學研究科碩士課程,被指導教授西脇順三郎討厭。西脇曾在確認江藤人在教室後,公佈「因江頭君在教室內,今天不講課」。1957年5月,跟大學同學三浦慶子結婚,翌年,學長安岡章太郎揶揄說「江藤為了跟慶子結婚特意考不上東大的嗎?」,江藤回答「我是很認真考試卻考不上的。」。

1958年,身為研究院學生卻在文藝雜誌撰寫評論賺稿費,因而被教師會視為麻煩,告誡江藤退學。江藤卻支付學費,卻不肯上學以示抵抗。1958年11月,在文藝春秋社發表『奴隷の思想を排す』。1959年1月,在講談社發表『作家は行動する』。1959年3月,提出退学申請,正式自研究院退學。

1962年,以洛克菲勒基金會的研究員身份到普林斯頓大學に留學。1963年,在普林斯頓大學東洋學科教授日本文學史。1964年回日本。回國後,成為迎似皇室崇拜者的愛國人士。由20多歲開始擔任長時間的文藝時評。

1971年開始在東京工業大学擔任助教,後來成為教授。編輯『勝海舟全集』,海舟亦是江藤理想的「統治者」典型及渴望。 1974年,在「『フォニイ』考」批評加賀乙彦辻邦生等長編不算是純文學,因而引起爭論。 1975年,在慶應義塾大学提出博士論文『漱石とアーサー王伝説』,成為文學博士。 1976年,為NHK的紀錄片『明治の群像』撰寫劇本。 1979年開始,被美軍佔領下的日本人如何被洗腦,日本國憲法束縛住戰後日本的言論自由,開始成為社會問題。 1983年,因「ユダの季節」一文,被保守派評論家山崎正和中島嶺雄粕谷一希批評立場,被保守論壇孤立。 1990年,向東工大辭職,在母校慶應義塾大學法學系擔任客席教授。 1992年開始成為慶應義塾大学環境情報系教授。退休前一年,離開慶應,1997年,在大正大學擔任教授。

晩年,跟認為理想的統治者只在非常時期出現的永井荷風西郷隆盛討論,有了意外之感。

1998年12月,夫人慶子去世。1999年7月21日,雷雨交加的晚上,江藤淳在鎌倉市西御門家中浴室,用剃刀割腕自殺。江藤在妻子葬禮後,一直煩惱自己腦梗塞的後遺症,在遺書中寫下名句「形骸を断ず」。江藤畢生未能完成作品『漱石とその時代』、描述妻子與病魔惡鬥的『妻と私』及『幼年時代』。

江藤淳是有名的愛犬人士。

學生有福田和也兵頭二十八

著作

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  • 『夏目漱石』東京ライフ社、1956
  • 『奴隷の思想を排す』文藝春秋、1958
  • 『作家は行動する』講談社、1959
  • 『海賊の唄』みすず書房、1959
  • 『作家論』中央公論社、1960
  • 『日附のある文章』筑摩書房、1960
  • 『小林秀雄』講談社、1961(新潮社文学賞)
  • 『西洋の影』新潮社、1962
  • 『文芸時評』新潮社、1963
  • 『アメリカと私』朝日新聞社、1965
  • 『犬と私』三月書房、1966
  • 『続文芸時評』新潮社、1967
  • 『成熟と喪失』河出書房新社、1967
  • 『江藤淳著作集』全6巻、講談社、1967
  • 『崩壊からの創造』勁草書房、1969
  • 『表現としての政治』文藝春秋、1969
  • 『考えるよろこび』講談社、1970
  • 『漱石とその時代』第1、2部、新潮選書、1970
  • 『旅の話・犬の夢』講談社、1970
  • 『夜の紅茶』北宋社、1972
  • 『アメリカ再訪』文藝春秋、1972
  • 『江藤淳著作集続』全5巻、講談社、1973
  • 『一族再会・第一部』講談社、1973
  • 『批評家の気儘な散歩』新潮社、1973
  • 『海舟余波』文藝春秋、1974
  • 『江藤淳全対話』全4巻、小沢書店、1974
  • 『決定版 夏目漱石』新潮社、1974
  • 『フロラ・フロラアヌと少年の物語』北洋社、1974
  • 『こもんせんす』北洋社、1975
  • 『漱石とアーサー王伝説』東大出版会、1975
  • 『続こもんせんす』北洋社、1975
  • 『海は甦える』全5巻、文藝春秋、1976-83
  • 『明治の群像-海に火輪を』1, 2、新潮社、1976ー77
  • 『続々こもんせんす』北洋社、1976
  • 『再びこもんせんす』北洋社、1977
  • 『もう一つの戦後史』講談社、1978
  • 『なつかしい本の話』新潮社、1978
  • 『再々こもんせんす』北洋社、1978
  • 『歴史のうしろ姿』日本書籍、1979
  • 『忘れたことと忘れさせられたこと』文藝春秋、1979
  • 『パンダ印の煙草』北洋社、1980
  • 『一九四六年憲法-その拘束』文藝春秋、1980
  • 『ワシントン風の便り』講談社、1981
  • 『落葉の掃き寄せ』文藝春秋、1981
  • 『ポケットのなかのポケット』講談社、1982
  • 『利と義と』TBSブリタニカ、1983
  • 『自由と禁忌』河出書房新社、1984
  • 『西御門雑記』文藝春秋、1984
  • 『江藤淳文学集成』全5巻、河出書房新社、1984
  • 『大きな空、小さな空』文藝春秋、1985
  • 『近代以前』文藝春秋、1985
  • 『女の記号学』角川書店、1985
  • 『日米戦争は終わっていない』ネスコ、1986
  • 『去る人来る影』牧羊社、1986
  • 『昭和の宰相たち』1-4、文藝春秋、1987-90
  • 『同時代への視線』PHP研究所、1987
  • 『批評と私』新潮社、1987
  • 『リアリズムの源流』河出書房新社、1989
  • 『離脱と回帰と』日本文芸社、1989
  • 『昭和の文人』新潮社、1989
  • 『天皇とその時代』PHP研究所、1989
  • 『閉された言語空間』文藝春秋、1989
  • 『全文芸時評(上下)』新潮社、1989
  • 『日本よ、何処へ行くのか』文藝春秋、1991
  • 『漱石論集』新潮社、1992
  • 『言葉と沈黙』文藝春秋、1992
  • 『大空白の時代』PHP研究所、1993
  • 『漱石とその時代』第三-五部、新潮選書、1993-99
  • 『腰折れの話』角川書店、1994
  • 『日本よ、亡びるのか』文藝春秋、1994
  • 『人と心と言葉』文藝春秋、1995
  • 『渚ホテルの朝食』文藝春秋、1996
  • 『荷風散策』新潮社、1996
  • 『日米安保で本当に日本を守れるか』PHP研究所、1996
  • 『保守とは何か』文藝春秋、1996
  • 『国家とはなにか』文藝春秋、1997
  • 『月に一度』産経新聞社、1998
  • 『南洲残影』文藝春秋、1998
  • 『南洲随想』文藝春秋、1998
  • 『妻と私』文藝春秋、1999
  • 『幼年時代』文藝春秋、1999
  • 『石原慎太郎論』作品社、2004

翻译

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  • 『クルップ五代記』ムーレン、新潮社、1961
  • 『二輪馬車の秘密』ファーガス・ヒューム、足立康との共訳、新潮文庫、1964
  • 『チャリング・クロス街84番地』ハンフ、中央公論社、1972
  • 『生きている日本』ドナルド・キーン、足立康との共訳、朝日出版社、1973

編集、共著

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  • 編『占領史録』講談社、1980
  • 『オールド・ファッション』蓮実重彦との対談、中央公論社、1985

参见

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注释

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  1. ^ 因從前書籍上的筆誤,一直流傳江藤出生於昭和8年(1933年)。

參考文献

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  • Eto, Jun. A Nation Reborn: A short history of postwar Japan. International Society for Educational Information (1974). ASIN: B0006D99OO
  • Eto, Jun. Natsume Sōseki ronshu. Kawade Shobo Shinsha. ISBN 4-309-60931-7. (日語)
  • Eto, Jun. Kobayashi Hideo ronshu. Kawade Shobo Shinsha. ISBN 4-309-60932-5 (日語)
  • Fukuda, Kazuya. Eto Jun to iu hito. Shinchosha (2000). ISBN 4-103-90906-4
  • 江藤淳 『一族再会』 講談社 1988年
  • 川口素生 『小和田家の歴史―雅子妃殿下のご実家』 新人物往来社 2001年